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福知山城復興天守
 
 福知山城史

塩見頼勝の築城と伝わる。その頃は福知山という地名はなく、横山城とよばれていた。
その後 信房の代に明智光秀に攻められ落城し信房は自刃し落城した。
光秀は藤木権兵衛、三宅弥平次を城代とし近代城郭に改修した。
1582年光秀は本能寺で織田信長を倒すがすぐに山崎の戦で羽柴秀吉に敗北し小来栖で土民に殺害された。
その後 羽柴秀勝、杉原家次、小野木重勝と続くが、小野木重勝は関ヶ原の戦いで西軍につき、
関ヶ原で西軍が敗れ、細川忠興に攻められ落城し、亀岡で切腹させられた。
江戸期には大名が相次いで入れ替わり1669年朽木氏が入り13代200年統治し明治に至る。
1986年11月天守が復原再築された。


 福知山城の縄張り
公園として整備され天守が復原再築されており、内部は資料館となっている。
天守以外にも建造物か再築されている。
天守石垣には石仏、五輪塔等の多くの転用石が用いられ海面下7mにも達する大井戸 豊磐井が現存する。



 アクセス方法

R9号線よりR55号線(お城通り)に入ると復原天守が見えてくる
ページ下部にマップ添付
 

所在地 福知山市内記
形式 平山城
現状  公園
築城年代  戦国期
遺構  郭、石垣、復興天守等等
主な城主 明智氏
見所 復興天守・転用石
 おすすめ度 ★★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より10分
 登城難易度  1
 駐車場 あり 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
上記各種データの説明はコチラをクリック→
上記 データの 説明      

天守台石垣の転用石
 

石垣に使用されていた転用石
 
 
井戸

福知山城公園一帯