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玄蕃尾城主郭
 

 玄蕃尾城史

玄蕃尾城は福井県と滋賀県の県境、柳ヶ瀬山の山上に所在する。
玄蕃尾城の名の由来は柴田家重臣 佐久間玄蕃允盛正の名があてられ命名されたと伝えられ、
天正期頃の織豊時代の縄張り、城郭様式などから築城時期は天正10年頃より同 天正11年頃と考えられる。
1582年6月27日に開かれた本能寺の変、山崎の戦後の織田信長の後継、遺領分配会議で
織田信長を本能寺にて殺害した明智光秀を山崎の戦で倒した羽柴秀吉がこれまでの
織田家重臣筆頭である柴田勝家に代わり重臣筆頭の地位を固めた。その為、柴田勝家と羽柴秀吉は対立し1583年4月賤ヶ岳において両者は激突した。
その際 玄蕃尾城は柴田勝家の陣城として使用された。
佐久間盛政の命令無視や前田利家の戦線離脱等により
柴田勝家は賤ヶ岳の戦いに敗北し、越前北の庄に逃れたが秀吉に包囲され自刃した。
賤ヶ岳の戦いの後、玄蕃尾城は廃城となった。玄蕃尾城が実際に使用された期間はわずかだが、
遺構もほぼ完存状態で残っており
使用用途もはっきりとわかり歴史的にも貴重な存在を示している為、平成11年7月13日に国指定に指定されている。

現状

玄蕃尾城は中心に主郭を配し天守台を構えその主郭北に搦め手郭、主郭南方の大手は張出し郭、腰郭、大手郭で防御し主郭をはじめ各郭は横堀で守られ通路も敵からの攻撃を意識し
複雑に折り曲げられている。玄蕃尾城は山城であるが各郭間の比高差も少なく
駐屯地(陣城)としての縄張りとしての意識が強く、また中世より近代城郭への過渡期にある城郭構造を見て取ることができる。
現在は国定史跡に指定され各遺構にも標柱があり、定期的に整備されており快適に城郭散策を行える。



 


 アクセス方法

玄蕃尾城へは米原方面より
国道365号線を北上すると北陸自動車道下を抜ける
トンネル柳ケ瀬隊道がありそちらへ右折し
トンネルを抜けるとすぐに右手に
小さな標柱(玄蕃尾城跡)がある。
そちらへと右折し林道を進むと玄蕃尾城登城口の
駐車場に到達する。
ページ下部に登城口位置マップ添付

所在地 滋賀県長浜市余呉町柳ケ瀬
形式 陣城
現状  山林
築城年代  織豊期
遺構  横堀、土塁、郭、掘切、虎口他
主な城主 柴田氏 
見所 卓越した縄張り
 おすすめ度 ★★★★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より15分
 登城難易度  3
 駐車場 林道終点に駐車スペース有り 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
上記各種データの説明はコチラをクリック→
上記 データの 説明      

天守台
 

主郭横堀
 
 
腰郭


馬出
 
 
大手郭
 

虎口郭
 
 
玄蕃尾城林道進入口