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駒山城・東城主郭
 
標高263m・比高230mの生駒山山頂に所在し
駒山城、東城・西城の主郭に相当する。
 駒山城史

駒山城の築城は南北朝期に遡る可能性
駒山城は別名・小聖寺山城とも呼ばれ、上郡町井上の千種川西岸にそびえる生駒山(標高256m)の
山上に所在する。赤松円心の三男・則祐が南北朝時代に築いたと伝えられる。
「播磨古城記」

天文年間 赤松氏一族の安室氏の拠点となる

戦国時代・天文年間に赤松一族の安室義長が大聖寺山城から移り、その後、義長の跡を子の
新五郎が継ぐが、幼少の為、長船越中守が城を守った。
「赤松家播備作城記」「播磨鑑」

播磨・安室氏
安室氏は赤松円心の三男・則祐が安室氏を名乗ったのを始まりとする。
室町時代・応永年間には安室氏は赤穂郡内12ヶ所及び備前の和気郡を領していたという。
「播磨鑑」

安室氏は室町末期〜戦国期に至っても安室荘の支配は保っていたが、浦上氏、宇喜多氏の台頭
により勢力圏は大幅に縮小していた。
なお
「赤松家播備作城記」「播磨鑑」には駒山城は安室義長が天文年間に初築としている。
選地的条件及び遺構などから
「播磨古城記」が示す通り創築は南北朝時代と推察され、南北朝期
のプランを安室義長が天文年間に改修したものと考えられる。

天正5年、長船越中守は竹万、苔縄の侍に駒山城を攻略される
駒山城は天正5年、安室荘の竹万の侍、小田・吉田・内海・片島らの諸氏に攻められる。
竹万の諸氏は駒山城を攻め落とす事ができず、そこへ軍学に通じる苔縄村の浪人、高見治郎が
駒山城攻めに協力した。高見は白昼に駒山城に火を放ち、駒山城を落城させた。
長船越中守はその後、羽柴秀吉に従属した。
「播磨鑑」「赤松家播備作城記」

駒山城が落城した 天正5年の播磨西部の動き

天正5年の播磨西部は毛利氏と織田氏の勢力の境目となっており、羽柴秀吉が織田信長の命で
播磨に出陣している。天正5年12月には羽柴秀吉は赤松七条家の上月城を攻め落としており、
安室氏及び長船氏らは秀吉方に味方しなかったが為に、天正5年の上月城攻めの前段取りとして
攻略されたと考えられる。

長船氏のその後

長船氏は後に赤穂郡、佐用郡をも領した宇喜多氏に従属し、慶長5年の「浮田家分限帳」には上郡、赤穂郡内に2万4084石の所領を得ている事が記載されている。

採取された遺物

コビキAの瓦(天正後半期及び文禄年間以前の瓦)、備前焼の甕が採取されている。



 駒山城の縄張り
駒山城

駒山城の立地

駒山城は千種川西岸の生駒山(標高263m)の山上に所在する。駒山城眼下の千種川は渓谷を流
れ、その渓谷を北に約3km北上すれば赤松総領家の本拠、白旗城の麓に至る。
この渓谷は赤松渓谷と呼ばれ、赤松渓谷の入口に当たる場所に駒山城は築かれている。

東城  曲輪
曲輪
生駒山の最高所、標高263mに位置する。東城の主郭に相当する。南西に虎口空間と推定される
K1がある。

曲輪

曲輪からは虎口空間K1を介して入る。ここから南側に向け城道が続き、通路兼帯曲輪を通り
東城と西城の中間、曲輪
に至る。

曲輪
Ⅲ〜ⅳ
曲輪
と曲輪は帯曲輪兼通路で繋がる。曲輪には巨大な岩が通路を狭めるが如く座る。

曲輪

曲輪
から絶壁と小曲輪群を下ると曲輪に至る。曲輪の先端は近世に掘削機械で岩石を砕いたような痕跡が残る。石積みの跡も残るが、城郭遺構としては不自然で近世(戦時中?)の痕跡と推察される。

東城と西城の中間点


曲輪

東城と西城の中間地点である鞍部の曲輪周辺は後世の改変が見受けられる。曲輪の南側には内部に石積みを施した空堀が残る。石積みも積み直しの形跡が見られる。

西城曲輪群


曲輪

曲輪は西城曲輪群の主郭に相当する。西城曲輪群は独立したピークに築かれ、最高所は標高253mの位置になる。高さ、規模とも東城曲輪群に劣り、駒山城全体の主郭は東城の主郭と推定される。東城曲輪群と西城曲輪群の差異としては西城曲輪群は曲輪ⅶを頂点に連続して伸びる曲輪を通路兼帯曲輪で囲んでいる事と、連続して伸びる曲輪の切岸が低く曖昧な点が挙げられる。


一城別郭の城

駒山城は東の峰と西の峰のピークに曲輪群を造成している。このような形態の山城を一城別郭と
呼ばれ、播磨の赤松氏に関わった山城にも同様の類似例が多く見られる。東峰と西峰の中間地点から大手道を設けるケースが多く見られ、侵入者を東峰と西峰の中間地点で、比高差も低く比較的登りやすい鞍部に誘い出し挟撃・撃退するという防御思考であった事が伺える。その為、一方の峰の曲輪群が落とされてしまえば、極めて防御的に不利な構造であるとも言える。

堀切A
西城西側の尾根続きは堀切Aで遮断されている。岩を砕き掘削する豪快な堀切が残される。



 アクセス方法

駒山城へはJR上郡駅の北西の県道5号線と90号線の交差点 山野里交差点を北に進むと
コープがありコープの駐車場裏の道に案内板のある羽山登城口があります。さらにその道を北に
向かうと井上登城口があり、こちらも案内板が設置されています。
羽山登城口からの道と井上登城口からの道は最終的には合流し、羽山登城口からの道はなだら
かで距離があり、井上登城口からの道は距離は短いものの、つづらおれの険しい道となります。


 
クリックで見やすい地図を表示
駒山城 登城ルート図

城域     登城ルート

国土地理院数値地図25000(上郡)引用 作図

所在地 兵庫県赤穂群上郡町大持 
形式 連郭式山城(一城別郭式)
現状  山林
築城年代  南北朝時代
遺構  空堀、土塁、石積、郭、掘切、井戸等
主な城主 赤松氏、長船氏 
見所 二峰に残る郭群
 おすすめ度 ★★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より25分
 登城難易度  3
 駐車場 登城口説明板付近に駐車スペース有り 
訪城日 2012年11月22日・2013年4月10日 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
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上記 データの 説明      

東城・主郭
南の虎口空間KⅠ 
主郭Ⅰ南には虎口空間と見受けられる
KⅠがある。主郭に入るルートと推察される。

曲輪
 
曲輪Ⅰの西側に所在する。
 
通路兼帯曲輪
 
通路兼帯曲輪で曲輪間を繋ぐ

曲輪
 
大岩が進路を阻むが如く座る
 
曲輪
先端 
近世の掘削機械で破砕した様な跡が残る

曲輪
の空堀 
空堀内に石積みが施されている 
 
西城主郭
 
駒山城のもう一つのピークにある曲輪群
 
西城曲輪の地表面 
地表面に畑の畝のような跡が残る
 
西城・堀切A 
岩を砕いた豪快な堀切
 
西城から赤松渓谷を望む 
白旗城を望む事もできる
 
登城口 
登城口には案内板が設置されている