小田草城とは



美作の豪族斉藤氏の居城で

14世紀中頃以前の築城と伝えられる 

小田草城の城主である斉藤氏は

戦国時代には最初 尼子氏に属し、

尼子氏の美作侵攻時にも従ったが、

その後1565年尼子氏が

出雲の月山富田城を包囲され

小田草城の斉藤氏に援軍を求めたが

時はすでに毛利氏にありと見て

援軍の求めに応じず斉藤氏は

毛利氏に味方した。

その後 斉藤氏は毛利氏が

九州へ出陣した隙をついて

尼子氏が挙兵した際に

再び尼子氏に味方したが敗れ、

宇喜多氏に属した。

アクセス方法


県道179号線を院庄方面から

鏡野町方面に北上し

小田草神社の標識があるので

そちらの道へ右折し5分前後で

小田草神社に到達します。

小田草神社より登城道が

山上の小田草城まで続いています。

詳しい位置は

小田草城地図でご確認をお願い致します。

南の郭
北端の掘切
北端の郭
小田草城 主郭
所在地  岡山県苫田郡鏡野町馬場

形式   連郭式山城 

現状   山林

築城年代  室町時代初期

遺構   空堀、土塁、堀切、郭、他

主な城主   斉藤氏


見所  土塁、郭、 

お奨め度  ★★★

整備登城道  有り

山麓より主郭まで  20分

登城のしやすさ  3

比高 標高   比高150m  標高390m

駐車場  神社前に一台分路駐可能


      下記に地図記載


 小田草城地図はココをクリック
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土塁
小田草城

現状


小田草城は戦国時代 

美作の有力な九人の武将の一人である

斉藤近実の居城である

小田草城は小田草神社の背後の山に所在し

尾根上に築かれた

南北に長い連郭式山城である

主郭は30×10mの細長い形状で

北と南に2m前後の小堀切があり

城郭の中心部である、

南側の守りには土塁切岸を用いた郭を段状に設け

小田草城の北の守りは郭と堀切で防御されている

現在 小田草城へは山麓の小田草神社より

歩きやすい登城道が続き

尾根上に到達すれば休憩所も作られいる。 


小田草神社内より登城道が続く


高さのある土塁切岸が残っている

切岸
城址碑
小田草神社参道
小田草神社参道

最南端の郭への土塁切岸

堀切

小田草城主郭

長方形に近い形状で尾根のほぼ中央に所在
広さ 30×10m

主郭の堀切

高さ2m前後の小堀切が主郭の北と南に残る

北端の郭

この先は堀切となっている

北端の堀切

北は堀切で断ち切っている

南側の郭

南側の郭には休憩所がある

南側の郭の土塁

南側の郭より先には土塁を超えなければ行けない

城址碑

鏡野町の指定史跡となり城址碑が建立されている