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細工所城本丸
 
最高所に所在する
 細工所城史

丹波 荒木氏

荒木氏は伊勢・志摩国の出身で、室町中期に丹波に来往したなど様々な説が取り沙汰される。しかし実際の所は不明と言わざるを得ない。
史料によれば天文4年、荒木清長の名で、室町幕府奉行人連署奉書、また
天文六年の船井郡金輪寺への寄進による奉賀帳に名をみる事ができる。
年代不詳の文書ではあるが荒木清長は波多野秀忠より船井郡・郡代を任じられている。上記のように天文年間の史料からは、多紀郡よりむしろ船井郡での荒木氏の活躍が見られる。これらの史料や、近世に編纂された軍記物の籾井日記等により荒木氏の居城が細工所城ではなく園部にあったと理解された事もあった。近年、高橋成計氏らの現地調査により篠山市細工所に荒木氏の籠った
細工所城(荒木城)があったことがわかった。

荒木氏が園部で活躍した背景

戦国時代、波多野氏は八上城の本家と、亀岡には本家より派遣された分家の波多野氏が存在していた。この分家は独立化し本家と対立する事もあったが、やがては本家との関係を修復していった。 その頃が荒木清長の名が登場する史料の年代と一致する。荒木氏が園部で活躍した背景には波多野氏分家の存在も少なからず影響していたと思われる。なお細工所城周辺には荒木氏の城郭とされる城が多数存在している「丹波志」における伝承が正しいとすれば、荒木氏は篠山市東部を本拠とし八上・波多野氏の幕下の有力国人であったと推定される。

荒木鬼と畏怖された荒木氏綱

荒木氏綱は丹波の荒木鬼と畏怖された猛将であったと伝えられるが、天正年間の明智光秀の丹波侵攻以前の事跡については不明な所が多い。確実に分かることは細工所城の最後の城主であったと言う所であろう。
さらに波多野氏の有力な家臣であったとされるが、波多野氏が後詰を行ったとされる記録もない。天正6年の段階で実際に家臣という扱いであったかも実際は不明と言わざるを得ない。

明智光秀の丹波侵攻


天正3年、織田信長の命で明智光秀は赤井直正の籠る丹波・黒井城を攻撃した。
落城間近にまで追い詰めた光秀であったが、天正4年1月、八上城の波多野秀治が裏切り、挟撃された光秀は敗走する。
一度は辛酸を舐めた光秀であったが、多紀郡を攻略対象に含め、再度丹波に出兵。天正5年10月に籾井城を落とした。
天正6年4月細工所城に光秀の他、滝川一益・丹羽長秀らの軍が迫った。
荒木方も激しく応戦し、「井串極楽、細工所地獄、塩岡岩ヶ鼻立地獄」という俗謡が今に伝わる。明智方は細工所城・東方の山に付城・鉄砲丸を築き細工所城に向け鉄砲を撃ちかけたという。激しく抗戦した荒木方であったが、水の手を押さえられ降伏した。細工所城を攻め落とした明智方は、山麓の細工所砦に兵を入れたという。






 訪城紀行

荒木鬼と異名を轟かせた荒木氏の居城 細工所城は
山上の細工所城(通称 荒木城)と山麓の
細工所砦(居館跡か?落城後織田氏が築いたか不明)で
構成されている細工所砦は削平地と櫓台、
そしてその背後を大堀切で断つ簡素な構造である
一方山上の細工所城は
高低差のある切岸を利用した郭を連ねる
連郭式山城で技巧的な作りを必要とせずとも
その急峻な地形が最大の武器となっている
この形態の山城は
戦国期にはよく見られる構造であるが
猛将荒木氏が籠もりかつ幾重にも連ねられた
高い切岸を有する南郭群や二段構造の西郭、東郭など
明智勢が難攻を極めたのが想像できる城である
 アクセス方法

県道702号線を篠山方面から細工所方面に向かい
細工所の交差点を右折し
国道173号線(綾部街道)に入ります
400m進み細工所集落に入る道を左折し
細工所集落に入り、民家脇の登城口より登城します
 細工所城ルート図
細工所城 登城ルート図

城域     登城ルート

国土地理院数値地図25000(細工所)引用 作図

所在地 兵庫県篠山市細工所 
形式  連郭式山城
現状  山林
築城年代  戦国時代
遺構  郭、土塁、大堀切等
主な城主 荒木氏 
見所 急切岸、大堀切、
 おすすめ度 ★★★ 
 登城道整備  
 主郭まで 山麓より25分
 登城難易度  
 専用駐車場 無し 
訪城日 2010年2月13日 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1〜5
上記各種データの説明はコチラをクリック→
上記 データの 説明
 

東郭

二段で形成されている

西郭

こちらも二段で形成され
東、西郭とも高い切岸を用いている

二の丸
 
本丸の南に所在し比較的広い

南郭群の切岸
ロープが引かれている箇所もあり
細工所城の特徴の高い切岸

南郭群最南端の郭
 
南郭群の最南端の郭は広い

山麓細工所砦

櫓台、大堀切と簡素な作り

細工所砦背後の大堀切
櫓台背後は大堀切となっている
 
細工所砦の櫓台
櫓台上はある程度の広さがある

山麓民家脇の登城口
民家脇より登城口があり
細工所城まで徒歩約25分である
  
 
遠望
細工所城は天然の要害を駆使し
築城されている