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篠向城本丸
 
楕円形で広さ50m×30m

       篠向城とは

備前美作の交通の要所に所在する篠向城は
14世紀中頃美作の国人飯田氏により
築かれたと伝えられる 
飯田氏は1360年南北朝の争乱で山名氏が
美作に侵攻し篠向城も攻められ落城し滅亡した
篠向城は山名氏が統治し
1441年に城代が反旗を翻すこともあったが
平定し、長らくの間 山名氏の支配が続いた 
文亀年間に高田城の三浦貞連との勢力争いにより
三浦氏に篠向城は攻め落とされ
以後三浦氏の属城となった
1576年高田城の三浦氏は毛利輝元に攻め滅ぼされ
篠向城は宇喜多氏の領有となった
しかし1577年宇喜多氏は
中国地方制圧を目指す織田氏に味方した為
毛利輝元は吉川元春を派遣し
周辺諸城を落し篠向城も落城させた 
その後1582年宇喜多氏と毛利氏は
和議を成立させ高梁川より東を
宇喜多氏が領有することになり、
宇喜多氏の江原親次か篠向城の城主となった 
やがて天下は豊臣政権となり
1592年江原親次は豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し
宇喜多秀家に従い出兵し
1598年5月釜山浦にて病死し 
篠向城は廃城となった。

        訪城紀行



急峻な笹向山(標高401m)山上に所在する篠向城は
現在舗装された道が
山上の本丸と二の丸の間の郭まで続いており 
その郭に車を駐車できるようになっている
その縄張りは山上最高所に楕円形の本丸を置き
4方向に帯郭を配し(南側の帯郭には現在5条の
畝状竪掘が確認できた) 
本丸の北西に一段低い郭を介して二の丸があり
本丸、二の丸間の一段低い郭より
登城道を少し下がると
三の丸への通路が開かれている
(三の丸は本丸より南東方向) 
本丸南西にも郭群が残されているが
雑木が密集し立ち入りが難しくなっている 
篠向城は山上まで車で登れ
手軽に宇喜多 毛利の攻城戦の地を
訪れることができる
      
       アクセス方法


国道181号線を津山方面から久世方面に走り
県道330号線に入る
(米子自動車道の高架より4つめの道)
1.5km程走ると交差路から
山麓の集落に入る道があるので
集落内の道を通り舗装された
登城道の林道まで行き
その林道の終点が篠向城です
ページ下部に登城口位置マップ添付
所在地 岡山県真庭市三崎 (笹向山) 
形式 山城
現状 山林
築城年代 14世紀中頃
遺構  郭、土塁、竪掘り、等
主な城主 江原氏 
見所 竪掘
 おすすめ度 ★★ 
 登城道整備  
 主郭まで  駐車場より5分
 登城難易度  
 駐車場 駐車場有 
訪城日 2010年1月10日 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1〜5
上記各種データの説明はコチラです→
上記 データの 説明



本丸切岸

本丸は高い切岸上にある

本丸南西の帯郭

眼下には縦掘りと郭が残る

帯郭下の畝状竪掘
 
5条の畝状竪掘が確認できた
(赤線の凹み部分が竪掘)

本丸と二の丸間の郭

登城道を登るとここへ到達する
(駐車場所)

二の丸
 
無線施設が建てられている 

三の丸

広い削平地が広がる