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恒屋城・後城主郭
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標高236m城山山頂に所在する。
 恒屋城史

赤松氏被官・恒屋氏による築城
恒屋城の築城時期は不明であるが、室町時代に赤松氏の被官、恒屋氏により築かれ、代々城主を
勤めたとされる。

播磨・恒屋氏
恒屋氏は応永年間より、赤松氏被官として、文書によりその名が登場する。
「守護赤松義則奉行人連署奉書」
嘉吉元年には赤松家当主が足利将軍・義政を殺害し、(嘉吉の乱)播磨に山名氏を中心とした
赤松討伐軍が攻め寄せた。その際も、恒屋氏は赤松方として坂本城に馳せ参じている。
「赤松盛衰記」
嘉吉の乱で赤松氏は幕府の追討軍に敗れ、滅亡、播磨は山名氏が支配する事となった。
山名氏勢力下での恒屋氏の動向は不明であるが、応仁元年、赤松政則が赤松家を再興し、播磨を奪還。恒屋氏は再び感状などの文書に赤松家被官として登場してくる。
文書からは応永〰永禄年間までは恒屋氏は忠実な赤松氏・被官であった事が伺える。
天正3年、恒屋氏当主・恒屋肥前守、赤松本拠の置塩城に夜討ちをかける
天正3年春、恒屋肥前守は応永年間より代々仕えてきた赤松家の本拠、置塩城に夜討ちをかける。
夜討ちを掛けた恒屋肥前守は、赤松家の白国次太夫に討ち取られたという。
「赤松則房感状」
その後の恒屋氏

天正7年頃、播磨に侵攻した織田家臣・羽柴秀吉は恒屋源三郎に新たに築城した「酒見北条の城」(播磨・小谷城と推定)の防備を命じている。その事から天正3年の恒屋肥前守戦死後も恒屋氏は
滅亡せず勢力を維持していたと考えられる。最後の恒屋城・城主は恒屋正友で、黒田考高・長政に
仕え、九州・福岡に移り、福岡城下で没したという。
採取された瓦
恒屋城では軒丸瓦・軒平瓦・鬼瓦などの多くの瓦が検出されている。検出された部分は、通路に
沿った部分で、曲輪内ではあまり検出されていない。その為、瓦は塀や城門で使用されていたものと推定される。恒屋城は近世、もしくは、より近世に近い時期まで存続していた可能性が考えられる。




 恒屋城の縄張り


恒屋城の立地と縄張り

恒屋城は姫路市北部・香寺町恒屋川東岸の常居山(通称・城山)山上に築かれ、規模は全長300mに渡る。城山北端、最高所・236mの地点を中心に後城が築かれ、南側の尾根、標高199mの地点を
中心に前城が築かれた一城別郭構造である。前城、後城の西側斜面には畝状空堀が敷設され、
後城南端の曲輪3西側には50m超の横堀が掘られる。曲輪3には横矢の張り出しなども見られ、
現在残される縄張りは戦国末期の頃の様相を色濃く残している。また恒屋川西岸には「お屋敷」
「姫屋敷」の居館跡が残され、恒屋城は居館と詰め城がセットの城郭であった事がわかる。

後城  曲輪1
城山最高所、標高236mに位置し、後城の主郭に相当する。南側に虎口が開かれる。

後城主郭西の腰曲輪
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恒屋川方面からの敵に対して備えた曲輪で、腰曲輪を三重に渡り配置し、その先には畝状空堀群を敷設している。

後城南端部の曲輪
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後城は前城のある南部に向けていくつもの腰曲輪を連ねている。その中には堀切を利用した水の手や、土塁囲みの曲輪も含まれる。後城の最南端には規模の大きな曲輪3が配置され、曲輪3は西側に横堀を掘り、塁線を変化させた横矢の張り出しが見られる。東側斜面に目を移すと数条の竪堀が見られ、これは北側に向けて東側斜面を移動する敵を遮断する目的があったと考えられる。

横矢の張り出し
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横堀A内を移動する敵及び、曲輪3の切岸に取り付いた敵に対し、横矢を掛ける為に張り出している部分。

横堀A

曲輪3の西側には南北に長い横堀が掘られている。横堀内に入ると、2か所横矢の張り出しが、侵入者に対し睨みを効かせている事がわかる。
堀切B
曲輪3の南端部は櫓台が築かれ、その先を堀切で遮断している。この堀切は横堀Aとも連結する。


曲輪5
曲輪5は前城と後城を連結している曲輪で、中央部には土橋状の通路のようなものが見られる。西側の切岸は曖昧である。

曲輪6

恒屋城を構成するもう一方の峯に築かれた曲輪群。前城の最高所は標高199mで後城との差は37mの比高差がある。後城と比べると造作も甘い。西側には畝状空堀群が掘られる。

曲輪7
前城最南端の曲輪。登城道を登ってくると、この曲輪に至る。南端及び西側に畝状空堀群があったと推察されるが、後世の地形の変化も考えられ、判然としない。
恒屋伊賀守を祀るお堂が建てられている。



 アクセス方法
国道2号線を神戸方面から岡山方面に進み姫路天神前信号を右折し国道312号線に入り、北上します。溝口の交差点で左折し県道410号線に入り直進し県道409号線を経て、北恒屋公民館前付近まで進むと、案内板があり、それに従い進むと専用駐車場が見えてきます。

 

恒屋城 登城ルート図
城域     登城ルート

国土地理院数値地図25000引用 作図

所在地 兵庫県姫路市香寺町恒屋
形式 連郭式山城(一城別郭式)
現状  山林
築城年代  室町時代
遺構 畝状空堀群、横堀、土塁、曲輪、掘切等
主な城主 恒屋氏 
見所 横堀
 おすすめ度 ★★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より25分
 登城難易度  3
 駐車場 登城口付近に専用駐車場有り 
訪城日 2013年2月9日

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
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上記 データの 説明      

後城・主郭
1南の虎口 
主郭南に虎口が開かれる。

後城・腰曲輪
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主郭1の西側に所在する。
腰曲輪は三重に渡り配置されている。

 
後城南端部の曲輪3 
後城最南端の曲輪は城内最大の規模を誇る

横矢の張り出し
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曲輪3の切岸に張り付いた敵に対し
横矢を掛ける構造となっている。
 
横堀A 
南北に長い横堀が掘られている。

堀切B 
曲輪3の南端は横堀と連結した堀切で
遮断されている。
 
 
前城と後城を繋ぐ曲輪5 
土橋状の土塁が中央に残る。
 
前城の曲輪6
 
前城は後城と比べると削平や切岸の作りが
甘く感じられなくもない。

 
前城最南端の曲輪7 
恒屋伊賀守を祀るお堂が建てられている。
 
恒屋城に残される瓦片 
恒屋城では多数の瓦類が検出されている。
 
後城主郭1からの眺望 
恒屋川の西岸には屋敷跡が残る。
 
登城口
登城口から後城までは25分の道のりである。

恒屋城遠望

木が刈り取られ、前城がよく見える。